あきやん 's journal

アニメ、ニュース、ソフトとかの備忘録。

ぼくらの「命」を見る。

テレビアニメ『ぼくらの』DVD Vol.1
今回の主役は、モジ...冷静で物静かな少年。友人へ心臓を提供出来るよう約束を取り付けて闘いに臨む。元々、感情の起伏が少ないのかも知れないけど、諦めとは一寸違うみたい。彼のイスが、友人の居る病室の...あの場所、あの三人が彼の世界なんでしょう。それを守る為の行動なら、冷静なのも納得出来そうな気がする。結果、超法規的措置で手術が開始。

この監督は、感傷が嫌いだそうです。

リンク:負けました - 森田宏幸のブログ
何日か前に拝見、で、少し考えました。
以下、引用

原作ファンの皆さんには負けました。
私自身が原作を嫌いで、アニメーション化にあたり、ある意味原作に悪意を持った改変を加えていることを認めます。
こう宣言しないと、このブログ上に展開されているいくつかの論点の矛盾が埋まらなくなると、私も覚悟しました。
〜〜
 「感動は描いてもいいけど感傷はダメ」という言葉があります。これは山田洋次の「映画を作る」に書かれていたロジックですが、私はこれを座右の銘のようにして信じている。
現実に負けて流す涙が感傷、現実に挑んで流す涙が感動です。感傷は人を弱くする、感動は人を奮い立たせる。
原作にはこの感傷が多い。私はこれを感動に再構成しようとしてます。
〜〜
最後に、書きたくないことを書かなければならないのですが、
アニメーション版「ぼくらの」の監督は原作が嫌いです。今後、原作にある魅力がアニメーション版で展開されることは期待できません。だから、原作ファンの方々は、今後アニメーション版を見ないでください。

と、これは言い過ぎか。これからも見て、批判をよせていただいて結構ですが、がっかりされるのが目に見えているものですから、つい。。

監督ひいきの立場で見てたのですが

作品がメディアによって色々と変わるのは前例も有るしそんなに悪いことでは無いと思ったので...ヤダモンなんて、小説、アニメ、漫画、全て話が違います...でも、コメントを読んだら、「感傷的」である事が、この作品の特徴のように見えてきました。監督も「原作にはこの感傷が多い」と認めてますしね。

ボク個人の考えですが

「感傷的」...つまり、庶民的な義理人情に訴える...平たく云えば「浪花節」でしょうか。アニメも充分浪花節だと思ってたけど、原作はそれ以上らしい。実際、ロボットは只の舞台道具みたいなので、残った浪花節を変えたら拙そうです。
浪花節は苦手ですが、感動に変えるのは誤魔化している気がする。全てが前向きで無くっても充分世界は語れるしそれで和むことも出来ると思う。この「ぼくらの」の設定は鬱すぎですが(^_^;