「“犯罪をする意志”に対する罰」と実社会との矛盾

たびたび、この日記では似たような事を書いてますが....「犯罪に対する罰」というのは、実社会と矛盾してると思ってます。少なくとも刑法で謳ってる事はボクには納得できないし理解しがたい。裁判員制度?そんなもの以前の問題です。一寸、文脈がまとまってないかもです。
決して、犯罪を勧めてる訳ではないです。むしろその逆。

例えば...事故の場合。

極端な話、山のように大きい人が居たとします。
一歩歩けば周りの人を巻き添えにします。でも、犯罪をしようとした訳ではないから罰せられない。でも、周りの人が困るのは自明です。ココで矛盾してるんです。
“犯罪をする意志”に対する罰を考えてるから、意志が無いものをどうにかする事が出来ない。そもそも「罰を与える」という発想自体が、根本的に間違えてると思うんです。罰ではなく...お互いに共存できないという、ただそれだけなんです。だから“山のように大きい人”は、同じように“大きい人”同士で暮らせるよう便宜を図る。コレは差別とかではなく、お互いのためです。

「カッとしてやった」とか「衝動的に」とか

この「頭に血が上った状態」って、まともに物事が判断できない状態なのでは?と思う。もしも、この状態が「まともに物事が判断できない状態」だと認められたらどうするんでしょう。自分が客観的に「誰が見ても頭にキテる状態」ならば、怒りにまかせて何をしても良いなんて理屈が通りそうに思う。そのように計算して行動する人もいるかも知れない。でも...頭にきたって比較的冷静に判断できる人も...少なくとも、攻撃的な手段に訴える事をしない人だって居るんです。というか、世の中のほとんどの人は、そういう人だと思ってます。
中には、暴力を振るった事を自慢する種類の人も居ますけどね...

  • ウチの父ちゃんも然り。子供の頃いじめっ子だった事を自慢されたときは呆れました(^_^;)自慢にならない。恥ずべきことだと思うんですけどね...自分が当時周りからどのように見られていたか、とか、今、当時の友人たちに、どのような思い出で残っているかなんて考える事は多分、生涯一度も無いんだろうと思う。...閑話休題。

いろんな犯罪があるけど、ボクには、正当防衛とか知り合いを守る「緊急避難的なもの」以外では どんな理由であっても殺人が理解できないという根拠のない自信がある。逆に言えば...例えば殺人しちゃったりする人には“ボクには理解しがたい”けど、それなりの理由がある訳で。それが他人に理解できるかどうかは関係ないです。「その人の」理由なんですからね。

そもそも、「“犯罪をする意志”に対する罰」を考えてるから「極刑」なんてものがあるんだと思う。

人を殺せる人とか、人を殺すほど憎めて、なおかつ他の手段が取れない人が周りにいたら社会性が保てない。でも...ただ「社会性が保てないだけ」なんであって、そう言う人たち同士で纏めて隔離されてれば問題はないんじゃ無いかな。
極刑というものは被害者側の私怨だと思う。その私怨より、「殺人しちゃったりする人の理由」の方が小さいと断言してはならないと思う。
悪いけど、感情論で 加害者に極刑をしろと叫び続けてる方々の その恨み、殺人しちゃったりする人の心と同じぐらい怖いです。ってか、加害者が出てきたら殺しちゃいそう。すでに、平穏な一般人じゃ無くなってると思います。だから...頼むから両方とも隔離して欲しいです(>_<)

えっと...こちらにも関連記事。過去の日記から。
リンク:罪に対して罰が有るのでは無く、社会的に共存できるかどうか。 - たみぃ (t_aki)の ブログ