罪に対して罰が有るのでは無く、社会的に共存できるかどうか。

ロシアの連続殺人事件の被告、「殺人は愛と似ている」と証言
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[モスクワ 9日 ロイター] 49人を殺害した罪に問われているロシア人の男が9日、犠牲者の数をさらに11人追加するよう裁判所に求めた。また、18歳で最初の殺人を犯した際の心境について、初めて恋に落ちたようだったなどと陪審員に語った。

 スーパーの店員だったアレクサンダー・ピチュシキン被告(33)は、殺人を犯すたびに64マスあるチェスボードにコインを置いていたことから、地元紙では「チェスボードの殺人者」と呼ばれている。

 同被告は「最初の殺人は初恋のようなもの。決して忘れることはない」と発言。「(被害者が)自分と親しくよく知っている人物であるほど殺害の喜びが深まる」と述べ、すべての殺人の動機が生きるためだったと主張した。

 すべての案件で有罪判決が下された場合、ロシアで最も多くの犠牲者を出した連続殺人犯となる。

 裁判には今後被害者とされる人物の親族が少なくとも41人、さらに目撃者98人が出廷する予定で、長期化が予測されている。

「善悪の判断が出来ない人は罰しない」って有りますね。

ボクは、この「善悪の判断」と云うのは疑問視してます。何故なら...善悪の判断って人により違うからです。「殺害する事が喜びと云う事を、裁判員自身が理解できるかどうか」が罰を与える基準になってはイケナイと思うから。法律なんて幾らでも曲解して 犯罪者は「私刑」にしようという思想の人が居てもおかしく無いと思う。
こんなあやふやな基準を重視するから、....司法に対する国民の信頼の向上につながる...だから庶民から裁判員を選ぼう...などという考えに入るものと思います。

そもそも、「罰」とは

社会的規範を犯した者や倫理的・宗教的規範に背いた者に対して与えられる制裁。
こらしめ。

つまり、「罰」自体、もっぱら個人的な倫理、感情から与えられる制裁なんです。

詰まり、どうすべきかと云うと

法律とは、ボクたちの社会性を維持し、平和に暮らしたいが為のものと思う。「制裁」では無く、「隔離」すべきなのです。
精神的に問題がある場合等「善悪の判断が出来ないものは罰しない」...「罰」を与える事を考えてるから。根本的にボクの考えと違います。「罰」なのでは無く、共存できないなら「互いに」隔離されるべきだと思うのです。
あくまで社会性に関しての事なので、お金に関する犯罪とかは罰金が良いとは思いますが(笑)でも、「生き物に危害を加える(物理的、精神的を問わず)」系の犯罪は、社会性を重視しての罰則がされるべきと思う。明確に考え方を変えるべきです。壊しても直るものと、直せないものは違います。
....「本とか漫画、アニメとかの*** 虚構の暴力***に対して、罰を与えようと言う思想」も納得できないなぁ...どうも頭の中が宗教的に歪んでるとしか思えない。