病気というカテゴリ分けをしなくても良いんじゃないかと思う事。
テレビで有名な俳優が「左右が分からない」と発言。
それを聞いて...子供の頃、「左右が分からない」と言ってたクラスメートが居た事を思い出しました。
左右って固有名詞的なモノだと思ってて、
それ以外に、自分の前方の...正対より横にずれている位置を表現する方法
を知らなかったボクには新鮮に思えました
ボクは道とか覚えるのがダメダメで、道を聞きながらでも危なっかしいので...
もしかしたらこの「左右が分からない人」は、道を聞く必要が無いくらい方向感覚とか物覚えがいい人なんじゃないかとか妄想したりして。
ところで
アスペルガー症候群の人は、他人の感情を理解するのが苦手だけど、順序だったものに興味を示し...何よりも「集中力がすさまじい」と聞きました。それも偏執的と言えるまでに。これってADHDの症状...注意欠陥・多動性障害の逆なのではと思う。 つまり...人為的にアスペルガー症候群を起こせるようになれば、ADHDと中和させられるのではと想像。
だから「左右が分からない」というのも、なにかしら、その逆のパターンのものと中和できたりして。
しかし「分かりすぎる」なんて聞かないからねぇ...
えっと...検索したら「アスペルガーでADHDの娘」をもつ、おかーちゃん...なんてのがヒット。
へぇ?今ひとつ意味が分かんない。...自他境界のあいまい?おいおい、そりゃあ、その「おかーちゃん」が病的に気にしすぎてるんだろう...相手にわかるように話をする、このあたりが非常に弱いようです。...だからADHDかぁ。いやいや、そりゃあ病気じゃないって。そんなの珍しくないでしょ。
こう言うのって、自分が話すための「会話術の勉強」よりも、聞き取り理解する勉強の方が良いような気がする。
でもそれ以前に...
なんで、こんなに皆が、こういう部分を気にするようになったんだろう。
集中力が散漫しすぎたって、左右が分からなくったって、お金の計算とか、暗算が苦手だって、そんなモノは個性の範疇じゃないのかなぁ。