あきやん 's journal

アニメ、ニュース、ソフトとかの備忘録。

「はてな」について言及してるサイト

ちょっと観察。好意的でも、そうでないものも取りあえず目を通しておいた方が良いと思ったもので。他の意見って大切ですから。
リンク:http://noon.serio.jp/2007/04/hatena001.html

数万人いるといわれるアクティブなはてなユーザーたちが作る言説空間には、ある種の内輪ルール、ヒエラルキー、カースト制度というものが形成されている。これは他のブログサービス、たとえばGooやライブドアではまだ見られない特徴であり、ユーザー同士の「公開された形」での交流というものが頻繁に行われているのも、このコミュニティの特徴である。

そして繰り返しになるが、このコミュニティは驚くほど愚劣である。

わはは(^_^;
結論だけ書かれてもねえ...説明もしてもらえずに、いきなり「はてなCTOである伊藤直也」の批判が始まる。どうやら、彼が本を読まない(らしい)のが気に食わないらしい。

伊藤直也

...はい、まるっきり知らないし興味も無いです。でも、商売で物書きが出来る...プログラム関係を執筆してるみたい...のは、日本語の文章でも論理的に構文が組めると云う事。本が読めないのでは無く、読む暇も必要性も無いっぽい。

さて、はてなはただのシステムであり、道具である。ブログの中で生きるブロガーにとって、道具を批判することは、まったくもって退屈な行為なのかもしれない。だが、たとえばこう問い直してみてはどうか。ただの道具にすぎない「はてな」があたかも知性を体現するようなそぶりを見せた上で、一般人でしかない読者を集めてカネ儲けの道具にし、Web2.0という空疎で空っぽな流行語で厚化粧をした上で、産業廃棄物でしかないゴミテキストの山を再生産する仕組みを日々育成している、としたら?

まともにものを考えようとする人間がしなければならないこと。

それは愚劣なものを愚劣と呼び、美しいものを美しいと呼ぶことである。さもしく卑しいシステムが育む知性無きコミュニティを、嘲笑も、あざけりも、傲慢さもなく、ただ愚劣であると呼ぶことである。たとえそれが愚かきわまりないブロゴスフィアであろうとも同じことであり、文盲とフェミニストと finalventがのさばるこの世界、つまり「バカ」や「(笑)」という幼稚でつまらない単語を使わねばバカにされていることすら気がつかない人々で構成されるブロゴスフィアにおいても、知的であるということは困難であるが、やはり必要なことでなのである。

知性無きコミュニティ...類は友を呼ぶって(^_^;

システムのせいでは無いと思う。おしゃべりって云うのはキャッチボールだから。終わらせずに続けるのが重要。相手の取りにくい球を投げて得意がるものでは無い。相手に合った言葉を選んで使うのも重要な社会性のスキル。多少、おバカな所とかスキでも見せないと警戒されて誰も寄りつきません。ボク自身、利口ぶったって根がドジ属性だからタカが知れてるし(^_^;
難しい文章を書いてればそういう人が寄りつくと思う。

次回ははてなコミュニティを代表するブロガーたちについて論じる。

この「次回」で、「カースト制度」の真意が判るかも。ちょとだけ期待。