あきやん 's journal

アニメ、ニュース、ソフトとかの備忘録。

感情で刑を決めて良いんですか?

ボクは、昔から、法曹界というものの考えが理解できないです。
以下引用です。

「控訴勧めたい」裁判長説諭に波紋 裁判員初の死刑判決

…略
くじで偶然に選ばれて裁判員になった市民が、悩み抜いて出した結論は「死刑」だった。横浜地裁で16日、裁判員裁判で初めての死刑判決が出た。「加担したくはないが、日本には死刑がある。量刑の公平さを考えないといけない」と裁判員の一人は語った。誰もが罪と罰に向かいあう可能性がある裁判員時代。市民の死刑判断は社会にどんな変化をもたらすのか――。

 「重大な結論となった。裁判所としては、控訴を勧めたい」。朝山芳史裁判長は異例の説諭で締めくくった。判決後の会見で、被告に何を伝えたいかを問われた裁判員も「ひとこと言えるなら裁判長が最後に言ったように、『控訴してください』。そうなると思います」と話した。
…略
法曹界に反対もあるなかで導入が決まった裁判員制度は、時に市民感覚から離れていると批判を浴びた量刑面で、「市民の良識」を司法に反映させることが目的だった。当初は、心理的負担の大きさを心配し、交通事故など軽い事件から始めようという意見もあったが、「社会的に関心の高い重大事件から始めるべきだ」という意見が大勢を占め、今の形になった。

…以下略

「死刑」を決めた理由を考えてみる。

被害者意識を重要視した結果が一番なんだろうとは思います。「市民感覚から離れている」という意見自体が、被害者意識に則ったものだろうから。で、そのような方向に向かった...向かわせた方法としては、

  1. 被害者の写真を見せて、感情論に訴える。
  2. さらに、被害者の親族に語らせて以下同文。

被害者が悲惨な姿になってるのは当然のことで...しかし、日本では滅多に見られないけど諸外国での事故写真(事件では無いです)の写真を見ると、それこそ目を背けたくなるような惨いのがありますね。それと比較してしまうと、どんなに悲惨な写真でも客観的に同程度と思えなくもないと思います。そこの、「どう思うか」は個人によってバラバラだと思うので、議論するべきではないと思います。

で、ここからが本題なんですが...

その被害者の写真を見たり話を聞かされた裁判員さんの心中の、煮えたぎる正義*1の心が、死刑やむなしの判決になったんですよね?

ところで...その、「死刑やむなし」にした思いと、犯行に及んだ人の、「その行為をするに至った」思い。どちらの方が大きいと判断できますか?

裁判員さんは、写真を見せられたり話を聞かされて、自分と関係が全くない人同士の犯行の一方に荷担することになるんです。どちらが正義ですか?

そして、そして、
被害者の親族は、犯人を殺したいほど憎んでるんですよね?犯人が殺されることを望んでるんですよね?その感情って....犯人が、その被害者に対して思った感情よりも正しいもの、なんでしょうか....

ボクには、

親族の恨みもまた、殺人してしまった人と同じくらい、一般の社会とは異質な、社会性を失った かけ離れた感情と思えます。人を殺したいぐらい憎んでる人は、共に社会性を失っているとさえ思えます。だから、ボクは両方ともお近づきになるつもりはありません。

でも、だからといって、それが殺される理由にはならないと思う。要は、互いに隔離さえされてれば良いんです。

で、今回、死刑やむなしと結論した裁判員さん...アナタは、犯人を殺したいほど憎みましたか?それとも...憎まなくっても、死んで貰わなければならないと結論したんですね?

「死ぬべき」等という結論を出してはダメですよ。

被害者意識というのは、既に犯罪者と同じレベルの...人の死を望んでる...社会性を失ってる感情なんです。

そんなものに流されてはイケません。

*1:ボクは正義という言葉が好きではないので、あえて使います。正義なんてのは立場によって変わりますから